全日本農民組合連合会

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西日本研究集会のご案内をいただきました。3月28~29日鳥取県米子市だそうです。4年前に琴平で開催されて以降、出席できていなかったことから、今回は出席したいと思っています。

現在、香川県には全日農の支部はありませんが、85年前の日本農民組合香川県支部は1万2千人、貧しくて組合費の払えないヤミ組合員含めると3万人という、全国最強最大組織(次に多い京都支部が約4千人)であり、大山郁夫委員長の衆議院出馬も東京ではなく、農民運動のメッカの香川からあえて立候補しました。

香川県の農民組合がここまで大きくなった背景は、平均耕作面積が小さく零細農家が多い、小作農比率が極端に高い、小作と地主の緩衝地帯の自作農比率が全国平均の半分しかいない。などが理由のようです。大正後期から昭和初期には全国的にも有名になった香川3大小作争議(伏石、金蔵寺、土器事件)が起こり、農民三万人を高松に動員したり、県下各地での大衆争議にも発展し、全国の小作争議を香川の農民たちが先鞭をつけたといっても過言ではありません。私の祖父はこのころ龍川村農民組合の会計をしており、香川に来ていた浅沼稲次郎さんにご指導いただいたようです。

今、一番動員力を誇る自治労香川県本部でも五千人ですから、当時、交通機関がない中、三万人を動員したというのですから、すさまじい動員力です。

高松市内で行われた、伏石事件糾弾集会の模様です。垂れ幕の内容がかっこいいですね。「弁士注意!」で一人数秒しか演説できませんから、何十人も弁士がいたようです↓ huseisi.jpg

 

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佐々栄三郎さんの本があったような

佐々さんの本は「讃州竹槍騒動」と「讃州百姓一揆史」しか持っておらず、江戸時代後期から明治前期のもしか私は知りません。当然全日農香川県連会長をしていましたから、大正から昭和にかけての小作争議についても詳しかったんだろうと思いますが、そのあたりの書物は持っていません。
香川の小作争議については我々旧社会党の流れよりも、共産党の流れでをくむ、山下性太郎さんや山本繁さんの書物が詳しいですね。

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